これ読んだ

読書記録(感想ではない・あとたまに映画)

過ぎた春の記憶(小川 未明)

かくれんぼうが好きな少年が会った、不思議な坊さんの話。

死神かなんかかな。

子どもの頃、家の近くに同級生があまり住んでなくて、

居たとしても幼稚園も別だったので

(私は遠いところにある病院に勤務してる家庭向けの保育所だった)

なんだかんだ隔たりがあって、かくれんぼうとか鬼ごっことかあまりした記憶がない。

その保育園も同学年が6人くらいしかいなかったので(しかも住んでる地域がバラバラ)で、

その他の学年の子も含めてかくれんぼうとか鬼ごっこする機会がなかったので、

イマイチルールがよくわかってない。

たまにレクレーションとかで鬼ごっことか言われても困るのでやめてほしい。

 

図書カード:過ぎた春の記憶

東海道四谷怪談 (岩波文庫 黄 213-1)

1枚~2枚~って皿数えるやつの原作です。

去年買ったけど、あっ読みにくいと思っていったん止めて、

今年の初夏に再チャレンジしてあっ読みにくいっていったん止めて、

初秋にようやく読めました。長かった。

 

戯曲全般に言えることなんだけど、こういうのはやっぱり舞台を観てから

舞台を観た後にもっと知りたいなと思って読むのが一番なのではないでしょうか。

なかなか恐ろしい話だったけど、機会があれば観てみたいと思います。

あと、よく空白で○で済まされたりしてるので本当はなんて言っていたのか気になる。

銀河鉄道の彼方に

無職の時に新聞の広告で発売を知って、

発売したばかりでまだ図書館にないだろう、でもすぐに読みたい。

あーでも、無職だから金がないぞ!と家中の図書カード集めて買いに行った。

あれから3年か、また無職リーチなのですが。

(いっそのことそろそろ自由業にでもなる?)

 

タイトルから宮沢賢治銀河鉄道の夜をモチーフにと言いたいところですが、

銀河鉄道に乗って彼方を目指す話ではないです。

でも読み終われば絶対、思え遠くまできたなここが彼方かと思えるはずです。

出てくる人物たちの生と死を延々と繰り返し、

結局たどり着くのはまた駅のホームだったり、

それならまだよくてあまのがわのまっくろなあなかもしれない。

作者の他の著書「さよならクリストファー・ロビン」と

「ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ」とリンクする箇所が多いので、

そちらを先に読んでおくといいかもしれません。

 

銀河鉄道の彼方に

 

ブラック・スワン

ようやく地上波放送か~でもなんで深夜?話題作だったのに・・・?と

思ったらR15作品だったらしいですね。

痛そうなシーンと官能シーンが半々。

 

実力があって、白鳥役はなんなくこなせそうだけど

優等生タイプなので邪悪で官能的な黒鳥が表現できなくて悩むプリマドンナの話です。

職場関係では、トップダンサーの引退・事故でどうしても白鳥の湖を成功させたい演出家と、

黒鳥の演技なら引けを取らない新人ダンサーが一応追い詰める原因となってはいますが、

彼らは親身になってアドバイスしているので悪い人達ではないです。

というか、本当は追い詰める原因ではないです。

なら、誰が追い詰めた原因かと言えばやはり元ダンサーで娘に自分の夢を託す

母親だと思います。

応援はしてくれるし、具合が悪そうだったら寄り添ってはくれるけれど、

劇中何度か「あなたには無理なのよ」と言ってます。

「あなたには無理なのよ」ってやっぱり否定するのはよくないですね。

あと、役が決まったお祝いにケーキ作り2人だけなのに多すぎると言ったら、

じゃあ捨てるというあたりもこの母親の存在が荷になってる感じがしました。

でも、話的には母親からの脱出ではなく性への目覚めがモチーフなんですよね。

 

船を建てる

気が付けば今年ももう8月。

今年もまた夏が終わってしまうのか。

夏の終わりの読書はなにを読もう。

そもそも夏の終わりとはいつなのか。

 

船を建てるは旧版が絶版の頃に知って、数年前のGWにいつの間にか

再販してることを知って買いました。

淡々とアシカたちの日常を描いたストーリー。

出会いと別れを繰り返し、何とも言えない終わりに近づく。

短編が連なってるような漫画。

まったく話が繋がっているとは途中は思わないけど、

物語の終盤、一気にすべてのストーリーが繋がって見えます。

形を変えて、何度も日常を繰り替えてしているのがいい。

 引用元を考えるのも面白い。

ところどころに映画や音楽からの引用がみれる。

何度も世界が終わる感覚が描かれるけど、

晴れの日がずっと続いて不安になってくるような、

目に見えないだけでどこかで悪いことが起きている気がする不安のこと。

天災や人災ではなくて大切だった人がいなくなり、

今までの日常が変わる・昨日までの生活が過去になる終わりのこと。

新聞の訃報欄で、しばらく会ってない知り合いの訃報を知った時のような感覚に近い。

泣きわめくような悲しみじゃなくて、

そのうちその生活にも慣れてしまうだろうという程度のもの。

でもいつの日か悲しみがドッと寄せてくるんだろうな。

100年経ったらみんなもういないし、また再び出会えるだろうは、

本当に救いの言葉なのだろうか。

再び別れるのはつらいから、なかったことにする選択もありえると思う。